先日、東陶器小学校の3年生からお手紙がたくさんが届きました。
それぞれのクラスから、お手紙の冊子が三冊。
それぞれに思い思いの絵も書き添えられています。
「昔の東陶器」のことを調べる授業で、月輪寺に関する、子どもたちの質問に答えたことに対するお礼の手紙です。
子どもたちから寄せられる質問は、素朴なものですが、こちらも勉強になることが多々あります。
例えば、このような質問が寄せられました。
月輪寺には、(明治5年、境内に東陶器小学校の前身・和泉国第三区郷学校が創設されましたが)その当時は、校長先生みたいな人はいたのですか?
大人でも、明治初頭に「校長」という立場の先生がいたのかどうかわかる人は少ないのではないでしょうか。
というよりも、校長先生という先生が学校に一人いることが当たり前になっている今となっては、このような疑問を持つことも少ないかもしれません。
この他にも、明治初頭の郷学校について、「何学年まであったのか」という教育制度的な質問から、「お寺にあった学校は何クラスだったのか」という質問など、鋭い質問が多く寄せられました。
よい質問をしてくれたので、答えるほうもきちんと応えたいと思い、堺市の初等教育の歴史に関する書籍や東陶器小学校の歴史をまとめた本などを参考に回答をしました。
また、今年の秋(10月)、冬(12月)発行の寺報で、子どもたちとのやり取りの中で調べた内容などをご紹介できればと思います。
境内では、枝垂れ梅が終わり、八重の紅梅や侘助などの椿が咲いています。
花の蜜を好むメジロの鳴き声が賑やかです。
住職 樫本叡学
雨寶山月輪寺は,堺市にある、行基菩薩が開基したとされる高野山真言宗の寺院です。