昨日、東陶器小学校に出張授業に行って参りました。
今回は、小学3年生の皆さんに、「月輪寺の歴史と東陶器小学校」というテーマでお話をさせていただきました。
話を聞くばかりだとつまらないと思い、写真を多く用いたり、動画を用いたヴァーチャル参拝なども行いました。
子どもたちには特にヴァーチャル参拝が好評だったようです。
数多くの質問もしていただき、有難い限りです。
弊寺では、寺報などを通じて、ゆかりが深い東陶器小学校の歴史をたびたびご紹介してまいりました。
本日は、令和4年6月18日に創立150周年を迎える東陶器小学校の歴史について、古写真とともに書き記したいと思います。
1. 和泉国第三区郷学校の創立
明治維新後になると、全国各地で、地域の有志によって「郷学校」を設立する機運が高まりました。
月輪寺では、江戸末期から、本堂内の一室で、地域の子どもたちを対象に寺子屋が開かれていたこともあって、1872年(明治5年)に、月輪寺境内に「和泉国第三区郷学校」が設立されました。
現在の東陶器小学校と西陶器小学校の両校は、月輪寺境内に設立された「郷学校」が母体となっています。
当時の通学区域は、非常に広く、「北村、上之村、辻之村、見之山村、田園村、東山新田、福田村、高蔵寺村、岩室村、土佐屋新田、深坂村」でした。
また、当時の郷学校校舎は、木造瓦葺の平屋でした。
次の写真の中央にある建物が郷学校校舎です。
当時の校舎は、今でいう古民家のような造りだったのでしょう。
現在の境内の写真に郷学校校舎のイメージ図を重ねると、このような位置関係になります。
戦前の寺院規則の添付書類(昭和17年3月作成)にも、郷学校校舎として使われていたと思われる建物の間取りが次のように記されています。
この間取りが、郷学校当時のままだとすると、主に大教室として機能していたのは、24畳の一室だったと考えられます。
2. 学制発布と「小学校」
1872年(明治5年)8月2日に、学制が発布されると、全国各地の「郷学校」が「小学校」と順次改称しました。
1873年(明治6年)5月、弊寺境内にあった和泉国第三区郷学校も「泉州10番小学」に、1875年(明治8年)5月には、番号制を改め、「北村小学」へと改称されました。
この頃はまだ、「校長先生」という役職はなく、地域の名士が「学区取締」として任命され、就学の督励や運営費の管理など学事に関する一切の事務を担っていました。
また、各地で小学校が新設されるにともない、通学区域も現在の校区に近いものになり、1877年(明治10年)の段階では、北村小学の校区は「北村、上之村、見之山村、福田村」となりました。
3. 拡張移転から戦後
弊寺に小学校が置かれたのは、1872年(明治5年)から1881年(明治14年)の9年間です。
お寺に小学校があった最後の年の全校児童数は、約100人。
教員は2,3人だったようです。
教室不足を補うために、本堂なども教室として用いられていたのかもしれません。
そして、1881年(明治14年)4月、校舎が手狭になったこともあり、小学校は、東陶器村大字北676・677番地(現在の児童公園隣)に拡張移転されました。
さらに1900年(明治33年)には、「東陶器尋常小学校」と改称されました。
これ以降、小学校名に「東陶器」と冠するようになります。
東陶器小学校150年の歴史の中で、1934年(昭和9年)には、新校舎の落成後まもなく、第一室戸台風で校舎が倒壊するという非運にも見舞われたこともありました。
また、戦争の足音が近づいてくると、「小学校」は「国民学校」と名を変え、教育内容もその影響を受けました。
檀家さんの中には、「校舎内に武器庫が設置され、授業も勤労奉仕が中心だったこと」、「空襲の警戒警報が鳴ると、5分以内に帰宅できる子どもたちは、即帰宅。帰宅できない子どもたちは、村田医院さんの裏の森に避難したこと」などを覚えている方もいらっしゃいます。
戦後になると、第一次ベビーブームで教室不足に陥り、職員室を通常教室に転用したり、現在の児童公園に残されていた旧東陶器中学校の校舎を小学生用に用いたりしたようです。
次の写真は、檀家さんの奥野俊雄さんからお借りしている1957年(昭和32年)頃の運動会のお写真です。
写真には、1928年(昭和3年)に建てられた木造の講堂なども写っています。
60代以上の方にとって、講堂は、学校のシンボル的な存在だったようです。
さて今回は、古写真とともに、郷学校から戦後までの東陶器小学校の歴史について、簡単にまとめました。
150年の歴史を振り返ると、多くの困難もあったことと思います。
郷学校の設立にしても、明治期の拡張移転にしても、戦後混乱期からの復興にしても、「地域の子どもたちのための学校」を合言葉に、地域の方々や教職員の皆さんが一丸となって乗り越え、その先に、「今」の学校があるのだろうと思います。
小学校は、令和に入り、新築移転された後も、歴史を紡ぎ続けています。
木造平屋の校舎に通った世代、講堂があった小学校に通った世代、鉄筋コンクリートの校舎に通った世代、新築校舎に通っている世代。
各世代によって、小学校の心象風景は異なるでしょうが、それぞれが通った母校の歴史は、今後も語り継がれ、大切にされるべきものだと感じます。
今回の「総合」の授業では、子どもたちは、一年を通じて地域のことを学んだあとに、発表をするそうです。
今回の3年生の皆さんも、一生懸命お話を聞き、いっぱいメモを取ってくださいました。
子どもたちが、いつの日か、次の世代に地域の歴史を語り継いでいってくれたらと思います。
授業をした日から、小学3年生の子どもたちが、何人もお寺に遊びに来てくれました。
境内ではしゃいで遊ぶ子どもたちを見ていると、次の世代の子どもたちも笑顔でいられるように、来るべき次の節目に向けて、私たちもやるべきことは多いように感じます。
住職 樫本叡学