月輪寺境内では、紅白の曼珠沙華(彼岸花)が綺麗に咲いています。
例年であれば、お彼岸の時期に一斉に咲くのですが、今年は、まだ蕾のもの、もう枯れてしまったものが混在しています。
暑いのか涼しいのかややこしかった、お彼岸までの今年の天候を象徴しているようです。
さて、今日は、京都の東寺のお話を少し書きたいと思います。
ちょっと前に、京都で心理学の研究会があり、東寺に立ち寄りました。
東寺は、皆さんもご存じのように、教王護国寺とも呼ばれている東寺真言宗のお寺です。
新幹線に乗ると、五重塔が見えるお寺です。
平安京遷都後まもなくに、平安京の南門であった羅城門の東に建てられることになったので、「東寺」といいます。
ちなみに、今はありませんが、羅城門の西側には「西寺」もありました。
この東寺は、弘法大師空海とも関係が深いお寺です。 というのも、空海は、東寺に真言宗の僧侶だけを住まわせるように命じられ、さらに建設責任者に当たる「造東寺所別当」という職に任命されていたからです(注1)。
この東寺の講堂に、立体曼荼羅と呼ばれる21体の尊像が安置されています。(写真をご覧になりたい方は、こちらをご参照下さい。)
中央には、大日如来を中心に五智如来、向かって右側には五菩薩、向かって左側には不動明王などの五大明王、四隅には四天王、東西には梵天と帝釈天が安置されています。
ご覧になったことがある方は、皆そうだと思いますが、講堂の真正面から尊像群を臨むと、しばらくの間、その壮大な姿に圧倒されます。
弘法大師空海と東寺の関係が深くなった時には、すでに東寺の伽藍配置は決まっていたので、空海が実際に決めることができたのは、講堂にどのような尊像を、どのように配置するか、であったとされています。
つまり、講堂の尊像の独自の構成とその配置は、空海が何らかの意図をもって決めたものです。
では、この尊像群には、空海のどのようなメッセージが込められているのでしょうか。
伝統的には、立体曼荼羅は「密教によって鎮護国家を実現させるためのもの」と解されてきました。
つまり、「国家的に密教を用いる」という観点からのみ論じられてきました(注2)。
しかし、近年では、この壮大な立体曼荼羅は、「密教を伝えるためのもの」と解されるようになってきています。
学術的な小難しいお話はするつもりはありませんが、『金剛頂経』という経典群(広義)に依拠しているという説です(注3)。
『金剛頂経』というのは、密教の即身成仏の方法を具体的に説く経典です。
そのため、講堂の尊像群は、「密教が説く進むべき道とその到達点を、象徴的に示したもの」と、近年では考えられ始めています。
真言密教は、具体的な形に落とし込むことで、その教えを伝えることに特徴があります。仏さまが持っている物や供養の作法も全て、教えを象徴的に表しています。
つまり、空海は、21体の尊像という壮大な仕掛けを作って、それを臨む全ての者に、密教の教えを伝えようと試みたと言えるでしょう。
「密教は、何を目指そうとしているのか。」
時を超えて、お大師さんからのメッセージを受け取ることができると考えると、少しロマンがありますね。
この秋、京都を訪れる方は、是非東寺にもお立ち寄りください。
ちなみに、東寺の回し者ではありません。
副住職 樫本叡学
(注1)天皇から空海に東寺が与えらえたという説(「東寺勅賜」説)もありますが、一次史料がなく、真偽が不明確と言われています。ただ、いずれにしても、東寺は弘法大師空海と縁が深いのは事実です。
(注2)金剛界法と仁王経法から諸尊を選び、三輪身説で組み合わせたものという説が伝統的な解釈です。というのも、学術上、五大明王は金剛界法ではなく、仁王経法に典拠があるとなっているため、双方の経典や儀軌から尊格をピックアップしたと考えられてきました。そして、三輪身説に基づき、真理そのものを表す自性輪身(五智如来)、救いを求める人々の願いに従って慈悲を表す正法輪身(五菩薩)、従おうとしない人々を導く教令輪身(五大明王)に分けられるとされてきました。しかし、三輪身説が後世に完成したものなので、近年整合性の観点から疑義が唱えられています。
(注3)原浩史「東寺講堂諸像の機能と『金剛頂経』」『美術史』第166冊 2009 pp.358-375 同氏は、従来説のように現図曼荼羅や『真実摂経』に限定しなければ、五仏や五菩薩は『金剛頂経』系の経軌によって説明がつくと論じています。さらに、五大明王の所依経典も、『仁王念誦儀軌』の記述から、空海が同儀軌を『金剛頂経』を使って『仁王経』を解いたものと見なしていたのではないかと指摘しました。