空海の名言『谷響きを惜しまず。明星来影す。』(9月1日)

明星来影

この月輪寺公式ブログで、不定期連載している『空海の名言』。
これまで、以下の二つの名言を取り上げました。

虚往実帰(きょおうじっき)』(前編後編
性薫我を勧めて還源を思いとす。経路未だ知らず。岐に臨んで幾たびか泣く。

虚往実帰』は、空海が唐で密教を受法したことに関わる言葉。
性薫我を勧めて還源を思いとす。経路未だ知らず。岐に臨んで幾たびか泣く。』は、唐に渡る前の空海の苦悩を表す言葉でした。
『性薫(しょうくん)』とは、『誰にでも備わっている本来の仏こころ』を指しますが、今回の名言は、空海の中にあった仏こころが動き始めるきっかけになった強烈な体験に関する言葉です。

では、本題に入ります。
今回取り上げる空海の名言は、『谷響きを惜しまず。明星来影す。』です。

読み方は、「たにひびきをおしまず。みょうじょうらいえいす。」です。

 

1 出典と現代語訳

まずは、この名言の出典と現代語訳を確認しましょう。

このお言葉は、空海が24歳の時に記したとされる『三教指帰(さんごうしいき)』の序文の一節です。
この著作は、出家を反対する親族に対する出家宣言の書であるとも言われています。
その序文には、自らの生い立ちを含め、空海自身がどういう経緯で僧侶を志したのかが簡単に記されています。

このお言葉の前後には、次のようなことが書かれています。
・私、空海は、15歳の時に母方叔父(阿刀大足)について学問に励んだ。
・18歳で大学(国家官僚養成機関)に入り、雪明りや蛍の光で読書した古人を目指した。
・そのような時に、一人の僧侶と出会った。その僧侶は私に虚空蔵聞持の法(虚空蔵菩薩の説く記憶力増進の秘訣)を教えてくれた。
・この秘訣を説いている『虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼求聞持法』という経典には、「もしも人々がこの経典に示されている作法にしたがって、虚空蔵菩薩のご真言を百万回唱えれば、あらゆる経典の教えの意味を理解し暗記できると書かれている。
・私は、この経典に書かれていることが仏の真実の言葉であると信じて、阿波の国の大滝岳によじ登り、土佐の国の室戸岬で一心不乱に修行した。
・すると、谷はこだまをかえし、(虚空蔵菩薩の化身である)明星が姿を現した。(注1)
・このようにして私は、朝廷で名を競う世俗の栄達に嫌気がさし、山林での修行生活をこいねがうようになった。
・私の出家の志を押しとどめることは、誰にもできない。

上記の「谷はこだまをかえし、(虚空蔵菩薩の化身である)明星が姿を現した」という部分が、この名言の現代語訳にあたります。
つまり、この名言は、若き日の空海が出家を明確に志した体験を意味します。

この「虚空蔵聞持の法」は、奈良時代に持ち込まれた修法ですが、のちに空海が唐から持ち帰る体系化された密教を先取りした内容になっています。
そのため、この体験は、空海が出家を明確に志した体験であると同時に、空海と密教の実質的な出会いでもあります。

この体験をした後は、それまで目指していた中央官吏という世俗の栄達に嫌気がさしていることや、出家の志を誰にも押しとどめることはできないとまで言っています。
空海にとって、この体験は、その後を決定づけるターニングポイントとなりました。

 

2 中央官吏への道と僧侶への道と迷い

この名言の重要性を知るには、まず、空海の迷いを知る必要があります。
それは、中央官吏への道か僧侶への道のどちらを歩むべきか、という迷いです。
その迷いは、空海が宿命的に背負った迷いであり、空海が生まれ育った環境とも深く関係していたと言えます。

というのも、空海の生家(佐伯氏)は、郡司(ぐんじ)と呼ばれる地方の役人でありながら、官位が非常に高いことから、中央官僚を目指していた家系であったのではないかと指摘されています。(注2)
地方の役人になるのであれば、国家官僚養成機関である大学にわざわざ入る必要はありません。
しかし、空海は大学に入っています。これも父方家系の目論みと無関係ではないでしょう。

他方、母方親族(阿刀氏)に目をやると、玄昉や善珠といった当代を代表する高僧を輩出しています。

すなわち、空海の親族をみると、父方家系には一族の中央への進出志向があり、他方、母方家系には仏教界でのロールモデルが存在していました。

中央官吏を目指すか、僧侶を目指すか。

十代の空海にとって、どちらの道を選ぶかは、なかなか決められないものであったのでしょう。
もしくは、心の中では秘かに決めていたけれど、なかなか家族に言い出せなかったのかもしれません。

当時、大学に入学するのは15歳時まででした。
空海は、当時の基準よりも3年遅れて、18歳時に入学します。
このことを単に「3年間母方叔父(阿刀大足)について学んでいたから遅れた」と解釈する説と、「空海は僧侶になる道を捨てきれず、大学への入学に最後まで消極的であったから」と解釈する説があります。

詳細な史料がないので、後世の人が断片的な事実の積み重ねから推察するしかありませんが、今回取り上げた名言にも、進む道に関する当時の空海の迷いや志が内包されています。

 

3 『谷響きを惜しまず。明星来影す。』は、どのような体験だったのか

では、中央官吏を目指すか、僧侶を目指すかで迷う空海にとって、『谷響きを惜しまず。明星来影す。』は、どのように体感されたのでしょうか。

非常に大きな意味を持つエピソードであるだけに、この体験の解釈は、歴史的に見てもさまざまです。

例えば、『続日本後紀』の「空海卒伝」(平安前期の空海伝)では、言葉は少し変わるものの、「幽谷、声に応じ、明星、来影す。」とあまり解釈は加えられることなく記されています。
一方、少し時代が下った平安中期に記された空海伝『御遺告』では、「(虚空蔵菩薩の象徴である)明星が口に入った」と記して、仏様である明星と空海が一体化したという解釈を明確に打ち出すようになります。

密教は、自己と絶対的な存在との一体化を目指す宗教です。
言い換えると、密教は、自分自身の中に大宇宙を含んでおり、大宇宙の中に自分自身が含まれているということを宗教体験の中で確認しようとする宗教です。

空海のこの体験が、「明星が口に入った」と仏様である明星と空海が一体化したという解釈がなされるのは、空海が密教の悟りの世界にまで到達していたことを明確に示すためです。

もちろん、空海自身しか、この時何を体感したのかは分かりません。

しかし、この体験の後、空海は迷いが吹っ切れたように、僧侶への道、さらには密教を求める道が始まるわけです。

この体験がなければ、私たちが知る空海はいなかったかもしれません。

空海が僧侶の道、密教を求める道を歩まなかったとしたら、今のように歴史の教科書に空海が載っていないということもあったのかもしれません。
空海が、日本における仏教や文化に果たした役割を思うと、この体験がなければ、日本の宗教や文化が今とは少し違ったものになっていたのかもしれません。

そう考えると、この名言は空海だけでなく、私たちにとっても大きな意味を持つ言葉と言えるでしょう。

 

副住職 樫本叡学

 

(注1)虚空蔵菩薩に関連する経典は、既に奈良時代に我が国に持ち込まれており、明星(金星)と虚空蔵菩薩は切っても切り離せないものと認識されていたようです。
(注2)武内孝善 2015『空海はいかにして空海となったか』参照
同書の筆者は、空海の兄弟などが地方ではもてあますほどの高い官位に叙されていたことに着目しています。例えば、空海の兄・鈴伎麻呂(すずきまろ)は、最終的には外従五位下に叙されます。
(昔の官位なので、ややこしいですが、「外」は「地方の者に与えられた階位」を示します。それぞれの位には、「正」と「従」があります。そして、そのそれぞれに「上」「下」があります。ちなみに、「従五位下」以上の者を「貴族」と呼びます。)
当時の規定では、郡司の長官で外従八位上だったので、空海の兄弟は、地方官のトップよりもかなり高い官位を有していたことを意味します。
筆者は、官位が高い背景には経済力があったことを指摘した上で、空海の父方家系(佐伯氏)がその経済力で、中央官庁への進出を目論んでいたのではないかと論じています。

 

→『虚往実帰(きょおうじっき)』(前編後編
→『性薫我を勧めて還源を思いとす。経路未だ知らず。岐に臨んで幾たびか泣く。